
Special
東京消防庁「9HR」御嶽山噴火災害での活動
斜面で展開する執念の検索活動
9月30日〜10月3日までは一進一退の状況を強いられる。強風による火山灰の舞いあがりでの視界不良や降雨により活動中止を余儀なくされた。そうした中で山頂に残された心肺停止状態の要救助者の救出が進められた。そして10月4日からは3部の隊員が活動を引き継いだ。しかし、現場の状況はそれまでとは全く変わってしまっていた。10月3日に降った雨により、水を吸った火山灰が生コンクリート状になって隊員の行く手を阻む。また、この段階までで山荘や登山道などでの生存者、目で確認できる要救助者はすべて救出済み。4日からの活動ではそれ以外の場所の検索として、斜面上、さらには火山灰に埋もれてしまった要救助者の検索活動となった。
八丁ダルミから黒沢十字路の間にトラバース道があり、そこを歩く登山者もいるというという情報をもとに検索を実施する。泥濘化した灰の中に半ば埋もれたハイドレーション(吸水のための道具)やストックなどを見つけるとその周辺を堀り返す。さらに、トラバース道から斜面に転落した事を想定し、斜面上の検索も実施した。トラバース道からロープを下ろし、斜面を隊員が一列になって検索を行う。トラバース道からでは分からないが、実際に斜面に降り近くで見ると、すこし膨らんでいたり、身体の一部だけが見えるといった変化が確認でき、埋没してしまった要救助者を見つける事ができた。
発見後は警察部隊が鑑識を行う。その後、泥(灰)まみれになってしまった顔をきれいに清拭してからスケッドストレッチャーに収容し、入山口まで搬送した。搬送しながらの下山は登る時の倍以上の時間がかかった。4日の活動では予想外に時間がかかり、最後の要救助者の搬送が完了するころには日没を過ぎてしまった。山小屋に一次収容し翌日搬送することも検討されたが、天候によって明日どうなるか、いつ登れなくなるか分からない。そこで他県隊や警察、自衛隊と連携しつつ、また、麓に残る人員で照明部隊を編成してもらい、暗くなった登山道を照らしてもらいながら強行軍で要救助者を下ろした。
4日の全体での発見者数は4名。そのうち、東京都大隊の救助隊が3名を発見した。翌日も全体で発見した3名のうち1名が東京都大隊の救助隊によるもの。
「計30名の救助隊でこれだけ発見できたのは、灰一色の斜面で僅かな手がかりも見逃さなかった、救助隊員としての研ぎ澄まされた感覚と『必ず見つけて家族の許に帰す』という執念の賜物だったと思う」(9HR 機動部隊長 嶋田洋二郎消防司令)

すべての活動を検証し次に備える
発災以降、山頂の寒さは日を追うごとに強まり、16日には山頂で5cmの積雪があった。過酷な活動と寒さ、さらには酸素の薄い山上での活動により、合同救助隊の中には体調を崩す者も出てきた。こうした現状を踏まえ、阿部長野知事は16日午後に捜索中止を決定した。これにより、21日間に及ぶ救助活動はひとまず中断されることになった。
東京に戻った9HRの隊員らはこの経験を今後に活かすべく、出場準備体制や車両・資器材選定、各部間の申し送り、活動方針、安全管理体制、そして登山の方法など多角的に検証した。活動において隊員らを苦しめたのが、火山性ガスや火山弾といった脅威に加え、雨によりぬかるんだ足元の火山灰だった。これに対して、引きずり搬送が可能なスケッドストレッチャーが効果を発揮したが、踏み込むと足が埋まってしまうことで隊員自身の身動きがとりにくくなる。このように、あらゆる場面を振り返った。
厳しく辛い活動の中で再認識できたこともある。林野火災対応のための登山用資器材、いわゆる都市型ロープレスキューのためにHRに配備された編み構造ロープや器具、NBC災害やCSR(閉鎖空間での救助活動)で活用するスケッドストレッチャー。こうした資器材の取り扱いを日頃から地道に訓練していた結果、知識や技術を応用して現場に合わせた活用を行うことができた。また、山岳救助隊や指揮本部との連携、そして後方支援部隊の献身的なバックアップがあったからこそ困難な活動を成し遂げる事が出来たといえる。日頃からの積み重ねやチームでの活動。こうした当たり前のことこそが、困難な状況に立ち向かう最大の武器になるのである。今後同様の場面に対処する際、よりよい活動を行うためにはどうすればよいかの模索。9HRでは次の一歩を踏み出している。



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日頃の取り組みが活かされた!