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東京消防庁「9HR」御嶽山噴火災害での活動
緊急消防援助隊として御嶽山噴火災害への出場を要請された東京消防庁。その出動隊として第九消防方面本部消防救助機動部隊に出場命令が下った。噴火した現場は、彼らが備えていた資器材を必要とし、彼らが日常的に行ってきた想定訓練が活かされた現場だった。
写真・文◎木下慎次(特記を除く)
Jレスキュー2015年3月号掲載記事
(所属や階級は取材当時のもの)
化学災害の側面を持つ複合災害
2014年(平成26年)9月27日に発生した御嶽山噴火災害に対し、翌日早朝より消防、警察、自衛隊による合同救助部隊が編成され、救出活動が展開された。
第九消防方面本部消防救助機動部隊(9HR)では、ニュース報道により噴火災害の発生を知ると、直ちに情報収集を始めた。
「要救助者が取り残されている現場は火山性ガス(硫化水素、亜硫酸ガス等)が噴出する山頂付近。通常の山岳救助ではなく、C災害という側面をもつ複合災害だった」(9HR 機動科学隊長 菊池謙消防司令補)
この見解は東京消防庁警防本部も同様だった。緊急消防援助隊派遣要請を受けた同庁では噴火の状況から 「化学分野の対応が必要」と判断。NBC災害対応部隊であり、方面特性として山間部での活動にも精通した9HRの投入を決定した。21時30分頃に警防本部より9HRに対して出場の打診が入る。救助活動の主体を担うのは山岳救助隊だが、山岳4署にしか配置されていない同隊を複数隊出場させるわけにはいかない。そこで青梅山岳救助隊に加え、八王子小隊(山岳救助の資格を持つ隊員を含む)と9HRに白羽の矢が立った。9HR発隊以前であれば、福島第一原子力発電所事故対応時と同じく3HRが安全管理、それに実働要員として他の機動部隊が加わる混成方式で対応しただろう。しかし9HRであれば単隊でそれと同じ機能を果たし、加えて山岳で活動するための知識やスキルも有する。本災害に投入されたのは必然だった。

先遣隊は機動科学隊
警防本部からの打診を受け、9HRは人員と出場車両の調整を行った。隊員は消防応援実施計画に基づき、この日の当番隊である2部の20名で対応することとした。23時25分に正式に派遣命令が下り、日付の変わった28日午前0時に出場した。9HRの隊員らは6台の車両に分乗して長野県へ急行した。4時30分に進出拠点として指定された長野県木曽郡木曽町にある道の駅・木曽福島に到着。受援対応に当たる木曽広域消防本部の職員と接触し「何名かは不明だが、生存者がいる」という要救助者情報を得た。
さらに前進し、御嶽山の麓にある八海山荘に移動し、6時より3機関合同による作戦会議を実施。ここで活動方針が決定する。活動に際してはまず、ヘリ部隊が活動可能かどうか頂上周辺を上空から確認。その後、地上部隊として先遣隊(3機関合同)を入山させる。同隊がガス濃度を検知しながら8合目まで入ったところで3機関により活動可能かを話し合い、活動可能と判断した時点で本隊が入山する段取りとした。
東京消防庁の部隊(緊急消防援助隊の東京都大隊)は御嶽山のスキー場「おんたけ2240」を抜ける道路、御岳スカイラインを通って7合目にある田の原駐車場まで移動し、装備を整えて9時55分に先遣隊が登山口「王滝口(田の原口)」より入山を開始した。
隊員らは山岳装備に身を包み、手には検知器、腰には即座に装着できるよう防毒マスクを下げて入山した。山頂までは王滝口から徒歩で約3000mを登ることになる。先遣隊の先頭には、9HRの機動科学隊員4名と自衛隊員の4名による先行測定班が立ち、測定器で火山性ガスの濃度を計測する。事前の作戦会議で退避基準を警察、自衛隊と協議しており、火山災害では急激な数値変化が起こりうることから、わずかでも数値上昇が確認されたら警笛を吹鳴して全員に周知を図り、硫化水素および二酸化硫黄の濃度が許容濃度の5ppmを超えたら防毒マスクを着装することとしていた。
火山性ガスの中でも高い数値が確認されたのが硫化水素だ。火山では硫化水素が10万ppmも発生することがあり、それも何の前触れもなく、突如として濃度が上昇するケースがある。9HR所有の防毒マスクは1000ppmで1時間対応できるが、その限界を超えぬうちに退避行動に移らねばならない。そこで、各種ガスの濃度の推移に注視しながら対応に当たった。
9HRは山岳救助の対応部隊ではないが、林野火災に投入されることが多いため、日ごろから訓練を兼ねた警防調査として、朝から山に入り、夕刻に隊舎に戻るというスケジュールで管内の山を登っていた。また、林野火災や土砂災害等に対応する知識や技術、何より山中での歩行といった初歩的スキルを有していたことが役立った。8合目から9合目に入るあたりになると、足元に火山灰が積もり始める。
「噴火以降誰も入っていない場所に足を踏み入れる。しかも、噴火も現在進行形の状態であり、噴石などから身を守る場所もない。恐怖感を抱かずにいられなかった」(9HR機動救助隊長 糸魚川辰男消防司令補)
百戦錬磨の隊員たちも、当時の心境をこう振り返る。また、9HRのほとんどの隊員は通常勤務からそのまま出場しており、文字通り飲まず食わず、寝ずの状態で活動にあたっていた。王滝頂上山荘に何名いるのかは不明だが、自分たちの助けを待っている要救助者がいる。このことが隊員たちの背中を押し続けた。通常であれば3時間ほどの登山コースを、火山灰などにより足元が悪い中、2時間もかけずに登りきった。

全員救出を目指すも迫りくる日没までの時間
山頂付近に到着したのは正午近くだった。そこで要救助者11名を発見し、うち4名が心肺停止状態で、7名もほとんどの要救助者が生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置をすべき状態だった。受傷から丸一日が経過しており、火山弾の直撃を受けた部位はうっ血して腫れ上がっている。
「中には腕が切断状態といった、言葉にしがたい状況の要救助者もいた。精神的にも辛かったはず。まずは安心してもらおうと、声かけを行った」(9HR機動救急救援隊 救急救命士 三浦崇消防士長)
救急救命士の資格を持つ隊員を中心に応急処置とトリアージを実施。陸上自衛隊のヘリで救急搬送するのと並行して、登山口までの担架搬送を行った。
現場に入った合同救助部隊は皆、できる限りその日のうちに全員を救出したいと思っていたし、そのために活動を継続したかったが、日没というタイムリミットが迫ってきた。日没までに下山し終える時間を逆算して、その時間になれば日があっても活動を終えなければならない。後ろ髪を引かれる思いで山頂を後にした。
初日は噴煙を追う形で山頂に登ったが、2日目(29日)は噴煙が目前から迫ってくる。登ること自体が困難な状況に襲われた。八丁ダルミまで登るも、二次噴火(水蒸気爆発)の恐れと火山性ガスの大量発生により下山命令が下り、この日は活動中止となった。29日の活動を持って9HR2部の隊員らは活動終了となり、1部の隊員に引き継いだ。

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