かつてない「多数殺傷」の現場 <br>恐怖の中での救命活動 <br>―相模原市消防局―

Special

かつてない「多数殺傷」の現場
恐怖の中での救命活動
―相模原市消防局―

Twitter Facebook LINE

活動を振り返って

津久井消防署第1中隊長(現場最高指揮者)

現場指揮本部として医療機関、警察、県内外の救急隊および関係機関との連絡調整および指揮命令系統の確立に主眼をおいて活動した。

活動の途中まで容疑者確保の情報がなかったため、安全が確認されてない状況で施設建物内に進入することになり、二次災害発生防止の徹底に苦慮した。また活動隊員にとって大きな恐怖感がある中での活動となった。

初動の段階では情報不足により災害の規模、災害内容、傷病者数の状況把握に時間を要した。

傷病者が多数発生した事故等の災害経験は多少あり、傷病者に対するトリアージの経験もあったが、それらのトリアージの割合は軽症者、中等症者が多く、重症者は少ない事故ばかりだった。しかし、今回は特殊な事案で重症者の方が非常に多く、傷病者情報の早期把握が困難だった。

ドクターカーの医療チームに現場に駆けつけていただいたことにより、重症度および緊急度が高い傷病者を医師の管理下に置くことができ、医師による救命処置、治療が早期に行われた。もちろん出血性のショックに対応できる救急救命士、救急隊員もいるが、経験豊富な医師による治療は心強かった。医療スタッフが現場に到着したことで、治療、搬送順位の判断などが円滑に実施されるだけでなく、凄惨な現場で活動している隊員の士気は確実に向上した。今回の災害で県内外の医療機関、ドクターカー医師、スタッフ、また座間市、綾瀬市、海老名市、東京消防庁、上野原市の救急隊、神奈川県ドクターヘリ、川崎市消防局、横浜市消防局の消防ヘリの準備に関わった方、神奈川県および各関係機関に多大なるご協力をいただいたことには本当に力強く、深く感謝しております。

津久井消防小隊長

とにかく確認しなければ、助けなければ、と無我夢中で対応していたので、余計なことを考える余裕はなかったが、その中でもふとどこかで「これは現実のことなのか? 夢じゃないのか」という気持ちがあった。こちらにも、こちらにも、と負傷者数がどんどん膨れ上がって、途中「これはどこまで増えていくのか?」と疑問に思ってしまうほど過去に経験のない案件だった。今後は、今回の経験を踏まえて、関係機関と連携した更なる実践的な訓練をしていく必要があると感じた。

かつてない「多数殺傷」の現場 恐怖の中での救命活動 ―相模原市消防局―
負傷者を搬送する際、今や欠かせないツールの一つとなっているのがプライバシー保護シート。
津久井救急小隊長

第1出場の救急隊長として出場し、若い隊員2名とともに、現場に入った時は「とにかく俺から離れるな」と隊員に声をかけた。まだ潜んでいるかもしれない犯人から隊員を守るという使命もあった。結果的に離れずに活動していたことがよかった。人間は離れたところから大きな声で指示を出すと受けた側も心拍数が上がって現場がおたおたするが、くっついて小声で話している方が落ち着いていられる。これは日頃の救急活動でもいえることで、この時も現場に入る前に「絶対に大きな声を出さない」と心に決めていた。それで、負傷者をトリアージしながら、多少離れていても、指示を出すときは近くによって、耳元で小声で指示を出した。活動終了後、隊員からも「落ち着いて指示を出してもらえたので、自分も落ち着いて対応できました」と言ってもらえたので、あれだけの現場でありながら冷静に対処できたのだと思う。

ただ、最初は救急救命士は自分一人だけだったので、増隊として続々と救急救命士が駆けつけてくれた時は本当に心強かった。何より顔を知っている隊員が来てくれる安堵感があり、また指示も出しやすく、チームワークがよかった。

今回のような大規模な災害に対応した経験はなかったが、救急救命士・東京研修所の入所中に、多数傷病者発生対応訓練があり、そこで責任者役をやらせてもらったことがあった。その経験が今回とても役に立ったと実感している。そして、たまたま昨年起案した多数傷病者対応訓練が今回の事案にとてもよく似ていて、役に立った。

振り返ると自分は持てる力を出し尽くして対応できた。数名と思って組み立てた活動方針を、負傷者が増えるたびに変更し、それを他の隊員に混乱のないように伝えるのは非常に気を遣った。すべては活動隊員の先にいる負傷者を全員助けるため、どうやったら救命できるか、という事しか考えられなかった。

一連の活動を終えた時、気がかりだったのは隊員の心のケアだった。それをどのように行っていけばよいのか、帰署途上の車内で悩んだが、消防署に着くと、署員がおにぎりを作って待っていてくれた。それを隊員らと食べながら、「今の現場、辛かったな」と自分から話ができ、お互いの会話で気持ちに落ち着きを取り戻せたと思う。

今でも、あれが最善だったのか振り返る事があるが、状況に応じて、その都度、優先事項を変えていったのは最良の選択だったと思う。

かつてない「多数殺傷」の現場 恐怖の中での救命活動 ―相模原市消防局―
少人数でも設定でき、ヘリカメラから守るために上部・側面を覆うのに活用した。
かつてない「多数殺傷」の現場 恐怖の中での救命活動 ―相模原市消防局―
指揮隊が現場で活用したストレッチャータイプの指揮盤。
2016年(平成28年)7月26日未明、犯人情報が未確定な段階で、隊員の活動が始まった。日本がかつて経験したことのない、凄惨な事件現場である。災害規模の把握、応援要請のタイミング、病院確保の困難さなど活動を通して様々な問題が浮き彫りになった。
写真◎粟井信行(特記を除く) Jレスキュー2016年11月号掲載記事

Ranking ランキング