かつてない「多数殺傷」の現場 <br>恐怖の中での救命活動 <br>―相模原市消防局―

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かつてない「多数殺傷」の現場
恐怖の中での救命活動
―相模原市消防局―

2016年(平成28年)7月26日未明、犯人情報が未確定な段階で、隊員の活動が始まった。日本がかつて経験したことのない、凄惨な事件現場である。災害規模の把握、応援要請のタイミング、病院確保の困難さなど活動を通して様々な問題が浮き彫りになった。

写真◎粟井信行(特記を除く)
Jレスキュー2016年11月号掲載記事

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「活動隊は防刃ベスト、防火衣を着装せよ」

平成28年7月26日午前2時56分、相模原市消防局が支援救急事案を覚知した。

「(ピーピー)支援救急出場指令、現場は相模原市○○○○○、津久井やまゆり園、刃物を持った男が暴れている模様。なお、通報は110番からの転送受信」

第1出場隊として、津久井指揮隊1隊3名、津久井消防隊1隊4名、津久井救急隊1隊3名の計3隊10名。津久井消防署から現場の施設までは緊急走行で約5分。出場途上で、警防本部から「負傷者3名」という支援情報を得た現場最高指揮者である中隊長は、途上の指揮車内から救助隊1隊、救急隊2隊、計3隊の増隊を警防本部に要請。次に救急隊員と指揮隊員に防刃ベストの着用を下命し、防刃ベストが配備されていない消防隊員へは防火衣着装を下命した。

現場到着時、建物外に負傷者は見当たらなかった。間もなく警察官が施設職員と接触し、負傷者が施設内にいることを確認する。先行進入隊は警察官2名、救急隊1隊3名、消防隊1隊3名の計8名。施設職員の案内で施設内に入っていった。

最初に進入した区画には複数名の負傷者がいた。すぐさまトリアージを開始した救急小隊長は、トリアージを終えると搬送の準備に入ろうとしたが、負傷者がいるのはこの区画だけではなかった。区画と区画は扉で隔てられており、電気もついておらず、その扉は施錠されていたため、同行した施設職員に知らされるまで、奥の区画にまだ負傷者がいることは思いもしなかった。

かつてない「多数殺傷」の現場 恐怖の中での救命活動 ―相模原市消防局―
現場に急行する津久井署隊。(写真はイメージ)
災害活動支援車、緊急人員搬送車も要請

建物の入り口付近に現場指揮本部を設置した津久井指揮隊は、トリアージを行っている救急隊から負傷者数の報告を受け、応援の救急隊、エアーテントを積載した災害活動支援車、緊急人員搬送車などの出動を警防本部へ要請した。

警防本部では、事前の計画で多数負傷者事案の際に連携をとることになっていた北里大学病院と日本医科大学多摩永山病院にドクターカーの出動を打診した。また、県、市関係部局、近隣消防本部に情報提供を行い、救急隊やDMATの増隊が必要になった場合に速やかに出動してもらえるよう連絡調整を開始しており、神奈川県ドクターヘリ(東海大学付属病院)、川崎市消防局と横浜市消防局の消防ヘリも、出動に向けて調整していた。

さらに警防本部および津久井消防署は非常招集をかけ、人員を増強し未曾有の災害の対応にあたった。

施設内で活動する津久井救急隊は、トリアージが終わったと思ったら新たな場所が示され、そこが終わったらまた別の場所が示される。救急小隊長が、「我々は2階へ行きます」と隊員とともに2階へ行こうとしたとき、さらなる増隊要請で駆けつけた救急隊が3隊到着した。そこで、新たな区画のトリアージは、増隊で駆けつけた救急隊に任せ、区画ごとに分担してトリアージと応急手当を実施していった。

目の前の負傷者に向き合いながら、小隊長は頭の中で、「現場から現地救護所、病院までの搬送の流れ」を組み立てていた。しかしながら、搬送を優先とした活動方針も、重症の負傷者が想像を超えて増えて行くのを見て、変更を余儀なくされた。

建物内部では、救急隊を始め、消防隊、救助隊が傷病者数の全容を把握すべく奔走していたとき、建物の外側では増隊要請で最初に到着していた救急隊が、救急指揮所を立ち上げ、救急搬送のための調整を始めていた。

当初は高度救命救急センターや3次救急医療機関を中心に連絡調整していた救急指揮所だったが、負傷者数の情報が増え続けたため、中規模から大規模病院まで広範囲に連絡調整を行い、余裕を持って搬送先病院を確保していった。事件のあった津久井やまゆり園は高尾山麓の県境に位置しており、3次医療機関は一番近いところでも15~20分、ほとんどの医療機関は緊急走行でも30分近くかかるという立地にあるのだ。

被害は2階建て2棟全体に

津久井やまゆり園の入所者の居住棟は東西2棟に分かれており、西棟だけでも負傷者数は2ケタにのぼった。そこで中隊長は、後着の特別救助隊に東棟に入って負傷者の有無を確認するよう下命した。隊長以下2名が施設職員と共に東棟に入り負傷者の確認を行った。

現場が広範囲にわたっていたことから、増隊で駆けつけた救急隊は一旦、現場でトリアージと応急処置にあたっていたが、応援の救急隊の数も十分に確保された段階で、救急救命士と救急指揮所の判断で、緊急性の高い重症者の搬送を開始した。

警察からの情報により、犯人は単独犯で現場にはおらず、現場は完全に安全であることが判明した。この報告を受け、中隊長は現場で活動する全隊員に、防刃ベストと防火衣を脱衣するよう指示を出した。

中隊長は現場から報告される負傷者数が増えるたびに、搬送に必要な救急隊の増隊を要請し、建物からの搬送に必要な人員を確保するため消防隊の増隊も要請した。それを受け、警防本部は座間市、海老名市、綾瀬市、隣接する東京消防庁と上野原市消防本部にも救急隊の応援出動を要請した。

続いてドクターカー2台(日本医科大学多摩永山病院、東海大学付属病院)が次々と到着し、医師が施設内の現場に入った。医師による再トリアージが行われると同時に救命処置を実施、赤タッグの中でも優先順位が決定され、ストレッチャーだけでなく、布担架、スクープストレッチャー、施設が所有する車いすなどあらゆる搬送資機材を活用し屋外に設営された現地救護所への搬送が始まった。

また、黄色タッグ以上の負傷者には常に救急隊員とドクターカースタッフが付き、少しでも容態が変化すれば対応できる体制を図った。

しばらくすると、北里大学病院のドクターカーが到着。この段階で緊急度の高い重傷者の搬送は終え、残る10数名の搬送先の調整に入っていた。救急指揮所に入った北里大学病院の医師が、残るすべての負傷者をひとまず北里大学病院で診察すると判断したことで、現場は一気に収束に向かった。

午前7時過ぎ、負傷者全員を搬送し終えた時には、すっかり夜は明けており、午前9時過ぎに相模原市消防局はすべての活動を終了した。

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活動概要
かつてない「多数殺傷」の現場 恐怖の中での救命活動 ―相模原市消防局―
救急隊以外:12隊(すべて相模原市消防局)
ドクターカー:3台(東海大学、日本医科大学多摩永山病院、北里大学病院)
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