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特殊事案対応特別救助隊が沢レスキューに挑む
―大月市消防本部―
滝の中を、指先の力を頼りに登り、ハーケンで支点をとる。沢の救助は、ロッククライミングにロープレスキュー、スイフトウォーターの技能を掛け合わせないと対応できず、救助の中でも最高難度の技術が求められる分野だ。消防においては前人未到の領域に踏み出したのが、この大月市消防本部である。
写真・文◎伊藤久巳(特記を除く)
Jレスキュー2020年1月号掲載記事
急増する沢での転落事故
「行けない」とは言えない
平成30年9月1日、大月市消防本部は「特殊事案対応特別救助隊」を創設した。特殊事案とは、同本部では山岳救助や沢救助など困難性が高く活動が長時間化する災害を想定している。なかでも大月市が現在、技術習得に取り組んでいるのが沢における救助技術である。
大月市は東京都と山梨県の県境の山梨県側に位置し、市内には日本200名山に名を連ねる山々や渓谷があり、都心からのアクセスの良さからアウトドアレジャーの人気スポットの一つになっている。特にここ数年は沢登りがシャワークライミングとも呼ばれて脚光を浴び、市内山間部にある渓谷に訪れる若者が増加している。
この沢登りは、ロッククライミングの技術を使い、沢や滝の中にハーケンを打ち、登はんしていくというもの。上方から落下するような水流の中を登はんすることから危険度は高く、沢登り中の転落受傷事故、死亡事故とも増加している。
山梨県丹波山村では平成30年8月、男性2名が村内の有名ポイントで沢登り中に滑落した。携帯電話の電波が通じない峻険な山々に囲まれた地帯で、2名に同行していた男性は救助要請のため半日かけて電波が通じる場所まで歩き、夜間になってようやく119番通報が行えたという。大月市消防本部では、事故を覚知したものの、その日のうちに救助隊を出動させられる場所ではなかった。現場の沢はあまりにも危険な場所で、夜間に出動すれば二次災害の危険性が十分に考えられた。消防署で待機していた救助隊は明朝、日の出と同時に出動した。同じく明け方に出動した山梨県警の捜索部隊は、沢登りに精通する隊員と対応資機材を携え、沢の麓から現場にアプローチした。これに対し、大月市消防本部の救助隊は沢用の資機材を保有していないことから、警察とは別ルートで入山し、7~8時間を費やして現着した。
現場には山梨県警の捜索隊が先着。現着までの時間は消防の半分ほどだったという。この現着までに費やした時間の差に同本部は愕然とした。またそれ以前も数年前から、沢での事故は一定数発生していたが、ほとんどの対応を警察に任せている状況であった。大月消防署丹波山出張所長として在任中、沢登りに精通する山梨県警小菅村駐在所の警官と交流があり、沢における救助事案に対応するためには専用の装備と技術が必要であると感じていた舩木正之大月消防署長は、この事案を受け、
「助けを求める通報を受けた以上、消防としてはそこが山だろうが沢だろうが、行けないとは言えないのではないか」と専用部隊の整備を消防長にかけあった。すると、村上明人消防長も「今後も沢レジャーの人気に伴い事故も増加するだろう。それなら大月市消防本部が沢レスキュー専門の部隊を持ったらどうだ」と早々に幹部を招集して、検討に入った。
これが、消防としては類を見ない、「沢レスキュー」に本格的に取り組む特殊事案対応特別救助隊発隊の端緒となった。村上消防長を筆頭に幹部職員が積極的に動き、情報収集と話し合いを重ね、この転落事案からなんと1ヵ月足らずのうちに発隊へとこぎつけた。
体力や知識、経験により選抜
救急救命士も含まれる
特殊事案対応特別救助隊は常設部隊ではなく、沢や山での事案等、活動に困難を伴う活動の際に臨時編成される部隊だ。1班と2班の二隊体制で、それぞれ隊長以下計7名から構成される。人選は、体力がある、脚力がある、動きが俊敏、知識や経験がある等、また隊長クラスではあわせて指揮能力と判断力等を総合的に判断して、消防本部、本署、出張所の全職員の中から選出。しかし、非常に危険を伴う活動となり、また技術習得には自主的な勉強も求められるため、候補となった隊員には、
「特殊事案の隊員に指名したいが、危ない任務もあることだろう。家族とも相談して返事がほしい。任期は3年」と伝え、選択の余地を与えた。
結果、候補者全員が隊員となることを承諾した。隊長を除く隊員の年齢は25~39歳。ロープレスキューの技術に関しては、全隊員がレスキュー3の講習を受講済みであることに加え、レスキュー3のスイフトウォーターレスキュー講習も現在までに順次、受講を進めており、多くの隊員が受講済みという状況だ。救急救命士の資格保有者も4名いる。
隊を2班体制にしているのは、活動が長時間化することが見込まれるため、もう1隊は交代要員として待機させるためである。その2班を束ねるのが小俣貴史総括隊長。総括隊長は隊とともにすべての現場に出動し、総括指揮にあたる。小俣総括隊長は長く救助隊で活躍してきたことにとどまらず、山梨県消防防災航空隊に出向した経歴をもつ救助のエキスパート。沢の救助事案では航空隊との連携も考えられるだけに、まさにうってつけの人材だ。
山梨県警の講師を招いた沢登り訓練
発隊にあたっては、一般的な救助や山岳の救助とも異なる専用の個人装備、資機材の整備が必須だった。水に濡れても抵抗が少ない被服、水で滑りやすくなっている石の上を登れるシューズ、水が抜けるよう穴の開いたヘルメットなどが準備された。被服などは沢レジャー用に開発されている民生品が中心となる。また現場は携帯電話が通じないことから衛星携帯電話を配備。しかし衛星携帯電話であっても、谷底からでは70度の角度で迫る山に電波が遮られ、衛星通信に必要な45度が確保できず使用できない。このため、出動にあたっては無線中継要員も複数名出動させることで対応している。
沢での訓練は、消防本部の敷地内での基礎訓練を中心に、年に2回、沢登りに精通した山梨県警北斗警察署の下山巡査長を講師として招き、警察との合同訓練を実施している。実災害への出動件数は平成30年9月の発隊以来、平成30年は1件、令和元年はすでに5件で、これらのすべてが沢における事故対応となっている。
特殊事案対応特別救助隊のメンバーに選出された隊員らは、「今までのロープレスキューの概念が沢では通用しない。水圧を受けながらのクライミングになるので、ロープも水で重くならない9ミリロープ、プルージックは通常は3巻きだが、8ミリを4巻きすれば止まる等、新たに学ぶことが多くある」と新たな救助技術の取得に奮闘している。
一方、彼らのトップに立つ小俣総括隊長は「とにかく隊員の安全を確保することに全力を注いでいる。そのために、自分自身も沢救助のノウハウを身につけ、現場では各隊員の状況をマメに、入念にチェックしながら監視し続けている」と語る。まだ救助技術として確立したものがない中で、全国に先駆けてその第一歩を踏み出した大月市消防本部。その裏には、「消防である以上は、救助を求める人がいれば救出したい、危険な活動だからと避けるのではなく、真正面から向き合いたい」という消防人としてのプライドがあった。
特殊事案対応特別救助隊の装備
大月市消防本部
消防長
消防司令長・村上明人
「特殊部隊の編成と同時に、最低限の資機材を揃える必要があるため、大月市はもとより小菅村、丹波山村からも緊急予算を組んでもらい、各市町村の理解を得られたのが大きかった。今後はどの事案に特殊事案対応特別救助隊を出すのか、私の即決即断がカギになると考えている」
大月市消防本部
大月消防署
署長
消防司令・舩木正之
「隊員の安全管理を考え、二次災害を起こさないためには、最低限の資機材を何よりも先に整備する必要があった」
大月市消防本部
警防課
特殊事案対応特別救助隊 総括隊長
消防司令補 小俣貴史
「ロープを使うことはいつものことなので問題ないが、沢登りはハーケンを打ってクライミングする。そこに安全性をどのように確保するのか。沢登りでの一番のネックはそこだ。滝を目の前に、まず右へいくのか左へいくのか、確保ロープはどうするのか。クライミング技術の経験を積むことはもちろん、資機材のノウハウがまだないので十分な訓練を重ねていきたい。また、ヘリが使える現場なら、連携活動は十分に考えられる」
第一班 隊長 河村和彦(救急救命士)
「レジャーの多様化により、これまでは人が入らなかったところに敢えて入っていくレジャー客が増え、危険な救助活動を強いられてきている。経験のない活動なので、訓練を重ねていきたい」
第二班 隊長 和田安史
「今一番必要なのは山の技術。もともと体力はある隊員らなので。まだ手さぐりの部分が多いが、しっかりやっていきたい」