応援隊は、被災者に寄り添うべし!<br>【活動ドキュメント】大阪市消防局

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応援隊は、被災者に寄り添うべし!
【活動ドキュメント】大阪市消防局

熊本地震に派遣された緊急消防援助隊のうち、最長となるのべ7日間の活動を展開したのが大阪府大隊である。
東日本大震災など府外での活動経験が豊富な大阪府大隊は、
この災害での活動コンセプトを「被災者に寄り添う活動」とした。

(写真)4月22日、久木野町役場にて自衛隊と捜索活動の調整を行う。左側で起立しているのが、竹村指揮支援隊長。

写真◎大阪市消防局(活動写真)、竹内 修(人物写真)
文◎竹内 修
Jレスキュー2016年7月号掲載記事

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大阪市消防局 消防司令長 竹村健一郎

大阪市消防局 消防司令長 竹村健一郎

緊急消防援助隊
大阪市消防局指揮支援隊長

派遣期間は最長の7日間

4月14日21時26分頃と16日1時25分に発生した地震は、4月28日までに熊本県内で40名の死亡者(ほか行方不明者1名)が生じる大参事となった。

この事態を受け、日本全国20都府県から緊急消防援助隊が被災地へと駆けつけた。大阪府からは大阪市消防局が指揮支援隊と航空隊、大阪市消防局と大阪府内消防本部によって構成される大阪府大隊を出動させたが、各都府県大隊のうち最大規模の大隊を編成し、もっとも長期にわたって活動をおこなったのが大阪府大隊だった。

大阪市消防局では14日の発災後、すぐに指揮支援隊の出動態勢を整え、大阪市消防局航空隊基地がある八尾空港まで進出して待機した。大阪市消防局指揮支援隊長は竹村健一郎消防司令長。平成23年の東日本大震災の際にも、大阪府大隊長兼指揮支援隊長として大阪府大隊を率いた、経験豊富なリーダーである。

結局14日の時点では総務省消防庁から出動要請が発出されなかったため、竹村ら指揮支援隊はいったん大阪市消防局に引き揚げ、19日に交代で再度出動することになる。16日の本震発生により、発生から約3時間半後の5時05分、大阪市消防局は指揮支援隊および航空小隊(大阪市消防局ヘリ)の出動要請を受ける。指揮支援隊1隊7名は再び八尾空港で待機し、6時30分、松前篤志消防司令長(大阪市消防局指揮支援隊長)以下4名はヘリで、残り3名は指揮隊車に乗車し、陸路で熊本県に向かって出動した。

続いて5時30分、総務省消防庁から大阪府に大阪府大隊の出動要請が入った。これを受けて8時20分、大阪市消防局から統合機動部隊が熊本県に向けて出発した。統合機動部隊は大規模災害が発生した際に被災地に先遣的に出動する部隊で、様々なスキルを持つ隊員によって構成されている。出動要請が発出されてから1時間以内に出動可能な態勢が確立されており、後続する部隊が円滑に活動できるよう情報収集を行うとともに、被災地において早期に活動を行うのが任務だ。(総務省消防庁は平成30年度末までに各都道府県に1部隊、全国でおおむね50部隊の編成を予定している。同部隊には重機とその操縦要員が含まれており、被災地に持ち込んだ重機はその後の捜索活動で大きな威力を発揮している)

大阪府では大阪市消防局が統合機動部隊を編成することになっており、今回出動したのは指揮隊、消火小隊、救助小隊、救急小隊、後方支援小隊の11隊36名である。

その後、10時30分に大阪市消防局と府内消防本部の隊員から構成される大阪府大隊の第1次派遣隊として指揮隊、消火小隊、救助小隊、救急小隊が計28隊104名、12時35分に第2次派遣隊として指揮隊、消火小隊、救助小隊、救急小隊が計26隊87名、後方支援隊(1次)として12隊40名が順次出動した。

大阪府大隊の集結地点は山陽自動車道淡河PAとし、熊本市方面を目指し山陽自動車道、中国自動車道、九州自動車道を進んだ。高速道路は比較的スムーズに走行することができたが、熊本市に向かうにつれて通行量が激増し、渋滞が激しくなってきた。一刻も早く現場に急ぎたいが、車列は思うように進まない。

熊本市に向けて移動中の16日15時頃、先頭グループが広島県の小谷(山陽自動車道)あたりを通行しているときに、熊本県庁の災害対策本部にいる緊急消防援助隊の指揮支援部隊長から指示が入る。活動地は南阿蘇村。熊本市ではなく、南阿蘇村に向かえ、ということだ。

この状態が続けば、到着は深夜になりそうな気配だ。そこで大阪府大隊はひとまず、後方支援本部から指示された宿営予定地、熊本県の菊池市総合体育館を目指した。

情報の錯綜

ヘリで熊本入りした大阪市消防局指揮支援隊は、阿蘇広域行政事務組合消防本部北部分署(阿蘇郡小国町)へ向かうように指揮支援部隊長から指示をうけたものの、出場途上のヘリから視察した限りでは大きな被害を見出すことができず、いったいどこで大きな被害が生じており、大阪府大隊はどこで活動すべきなのかを判断するための決定打となる情報を、なかなか掴むことができなかった。

状況の全容を把握したのは、16日の夜に阿蘇地域振興局で開催された調整会議でのことだった。会議に同席した広島市消防局指揮支援隊との調整により、土砂被害の大きかった南阿蘇村の北側と南側から、分担して捜索・救助活動を行うという方針が決定し、阿蘇地域振興局で自衛隊、警察、地元消防本部と調整。緊急消防援助隊としては、具体的には北側の赤瀬地区(広島市消防局指揮支援隊が指揮を担当)、それより南の立野地区の阿蘇大橋、河陽地区の高野台(大阪市消防局指揮支援隊が指揮を担当)で活動することになった。

4月23日の深夜、大阪市消防局に帰隊する緊急車両の車列。
4月23日の深夜、大阪市消防局に帰隊する緊急車両の車列。
大阪府大隊、活動スタート

大阪市消防局の統合機動部隊、大阪府大隊の第1次派遣隊、第2次派遣隊、後方支援隊は16日の深夜にかけて宿営地の菊池市総合体育館に順次到着した。最大17時間におよぶ移動だったが、活動隊は休む間もなく、17日の朝6時頃には南阿蘇村の進出拠点(アスペクタ)へと向かった。

大阪市消防局指揮支援隊の指揮下に入った大阪府大隊は、17日には南阿蘇村の長野地区と河陽地区、18日には立野地区と河陽地区、19日以降は河陽地区と同地区の高野台団地で捜索活動を行った。4月19日からは第3次派遣隊(228名)と第2次後方支援隊(54名)が現場に到着し、活動を引き継いだ。結局、残念ながら生存者を発見することはできなかったが、後発部隊が撤収する22日までの6日間で行方不明者1名の安否確認と、埋没車両の捜索、崩落した家屋内の検索などを実施した。22日の20時には救助部隊が福岡県隊、宮崎県隊と現場交替し、引き継ぎを完了した。

道路状況がわかりづらい

東日本大震災や平成16年台風23号兵庫県豊岡市水害など、緊急消防援助隊の豊富な活動経験を持つ大阪府大隊だが、今回の派遣では「車両が走行できる道路状況の把握が非常に困難であった」と竹村は語る。

東日本大震災で大阪府大隊は釜石市を中心に活動を行ったが、津波による被害を受けた釜石では車両の通行が不可能な道路はある程度絞られていたが、今回の派遣では頻発する余震により、前日に走行可能だった道路が次の日には走行不可能になる、といった事態にも見舞われている。

4月21日に降った降水量120mmという豪雨の影響も、大阪府大隊を苦しめた大きな要因のひとつとなった。土砂が雨による大量の水分を含んでひどくぬかるんでおり、豪雨によりいったん待機となった捜索活動を再開した22日には、隊員が汚泥の中に膝までつかりながら活動することになった。22日の捜索活動を行ったのは19日に現場入りした第3次派遣隊の隊員たちだが、汚泥に足をとられながらの活動は、屈強な隊員たちの体力を容赦なく奪った。そのため、この日は10〜15分おきに隊員を交替させながら活動を続けるという状況を余儀なくされた。

雨による二次災害のリスク

豪雨が二次災害の危険性を高めたことはいうまでもない。竹村は頻繁に発生する余震とあわせ、二次災害からいかに隊員を守るかにも留意した。大阪府大隊では大阪市消防局、枚方寝屋川消防組合消防本部、堺市消防局から3隊の指揮隊が派遣されたが、活動隊の現場指揮をとる各指揮隊が隊員の安全管理を徹底できたことは評価に値する。また、指揮隊は自衛隊や警察、地元消防本部との調整にもあたった。捜索現場において他機関と綿密な調整を行えたことも、捜索活動をスムーズに行ううえで大いにプラスになったと竹村は語る。竹村自身も4月22日には現地に派遣されていた総務省消防庁の専門官とともにヘリで上空視察を行い、作業再開が可能かを確認するなど、二次災害を防止するために細心の注意を払っている。

後方支援本部の力

さらに、過酷な環境下で二次災害のリスクを回避しながら長期にわたる活動を継続できたのは、現場で活動した隊員だけでなく、東日本大震災を教訓として早期に大阪市消防局内に設置した、後方支援本部の力も大きかった。今回派遣された大阪府大隊は屋外のテントでの野営でなく、近隣の体育館に宿営しているが、体育館の手配は後方支援本部が行っている。また簡易トイレをはじめとする、派遣隊員の生活に不可欠な設備の手配や輸送なども後方支援本部が一手に引き受けた。後方支援本部では、発災した4月16日から大阪府大隊が活動を終了した4月22日まで、のべ135名の隊員が24時間体制で現場活動部隊をバックアップした。この隊員たちの働きがあればこそ、現場で活動した隊員たちが健康を損ねることなく任務をまっとうできたのだ。

大阪府大隊の活動は災害現場での捜索にとどまらず、大きなダメージを受け機能不全に陥った被災地消防本部の業務支援も行っている。4月19日には阿蘇広域行政事務組合消防本部南部分署に消防車両を2台移動配備し、車両火災の消火活動にあたった。

救急搬送のニーズが高かったのも、今回の災害の特徴のひとつで、大阪府大隊は救急車をのべ33台派遣し、救急隊は派遣期間の7日間で67回出動し、避難所で体調を崩した被災者の救急搬送活動などに携わった。救急隊のうち3隊は阿蘇広域行政事務組合消防本部に常駐し、24時間態勢で同本部の業務支援にあたった。それ以外の救急隊は、避難所ごとに2〜3隊が常駐するようにした。これには東日本大震災での活動経験が活かされている。

東日本大震災の際も今回と同じく、大阪府大隊が派遣された釜石市の地元消防本部は機能不全に陥っていた。大阪府大隊は4月半ばまで消防隊、救急隊を継続派遣し、業務支援を行った。その際、大阪府大隊の消防隊が存在することによって、被災者の不安を低減していると実感することができた。今回の派遣にあたっても、東日本大震災の派遣時と同様に「被災者に寄り添う」というコンセプトに基づいて各避難所に救急隊を常駐させることを決定。同災害の被災者の反応からも、竹村は救急隊の常駐が被災者に安心感を与えるということを再確認した。

被災者に寄り添う活動

大阪府大隊の「被災者に寄り添う」というコンセプトのもと行う活動は、本来の消防業務から一歩先に進んでおり、今回は避難所の子供たちに防災啓蒙用のグッズのプレゼントも行った。これは大阪市の各消防署長からの提案によるもので、長引く余震のもと緊張状態を強いられてきた子供たちも、グッズを手にすると笑顔を見せてはしゃいだという。

緊急消防援助隊に課せられた本来の任務は、人命救助と被災地の消防活動の支援である。しかし本来の業務にとどまらず、大阪府大隊が行った「被災者に寄り添う消防活動」は、緊急消防援助隊の役割の幅をさらに広げたと言えるだろう。

大阪市の各消防署長の提案で、大阪府大隊は防災啓蒙用のグッズを持参。避難所の子供たちに好評だった。
大阪市の各消防署長の提案で、大阪府大隊は防災啓蒙用のグッズを持参。避難所の子供たちに好評だった。
大阪市消防局・大阪府大隊の活動。

進出

福岡県大隊
福岡市消防局(福岡県)撮影
福岡県大隊の1次派遣隊は16隊54名が4月15日22時33分に出動し、15日1時48分には熊本県消防学校に到着した。
福岡県大隊は熊本県の玉名PAを一次集結場所とした
筑後市消防本部(福岡県)撮影
福岡県大隊は熊本県の玉名PAを一次集結場所とした。
熊本に向け高速を緊急走行する岡山県大隊
赤磐市消防局(岡山県)撮影
熊本に向け高速を緊急走行する岡山県大隊。
活動地の益城町に向かって進出する兵庫県大隊
姫路市消防局(兵庫県)撮影
活動地の益城町に向かって進出する兵庫県大隊。
福岡空港で積載燃料の調整を行う福岡市消防航空隊
福岡市消防局(福岡県)撮影
4月15日0時過ぎ、福岡市消防局の指揮支援部隊がヘリで出動することになり、福岡空港で積載燃料の調整を行う福岡市消防航空隊。
福岡市消防局の2機目のヘリで宇土市に向けて出動
福岡市消防局(福岡県)撮影
消防庁より福岡市消防局に指揮支援隊の1隊増隊要請が入り、2隊目の指揮支援隊が4月15日1時15分、福岡市消防局の2機目のヘリで宇土市に向けて出動した。
4月16日に派遣された大阪府隊一次隊の集結受付所
東大阪市消防局(大阪府)撮影
4月16日に派遣された大阪府隊一次隊の集結受付所。大阪府は渋滞を起こさないよう大隊をPAで4グループに分けて時間差で進出させた。
4月16日朝、進出拠点で燃料補給車による給油作業を行う岡山市消防局
岡山市消防局(岡山県)撮影
4月16日朝、進出拠点で燃料補給車による給油作業を行う岡山市消防局。
大分県の玖珠GSで燃料補給
下関市消防局(山口県)撮影
山口県は4月16日、統合機動部隊が出動。大分県の玖珠GSで燃料補給を行い、阿蘇広域消防本部を目指した。
熊本地震に派遣された緊急消防援助隊のうち、最長となるのべ7日間の活動を展開したのが大阪府大隊である。 東日本大震災など府外での活動経験が豊富な大阪府大隊は、 この災害での活動コンセプトを「被災者に寄り添う活動」とした。
(写真)4月22日、久木野町役場にて自衛隊と捜索活動の調整を行う。左側で起立しているのが、竹村指揮支援隊長。 写真◎大阪市消防局(活動写真)、竹内 修(人物写真) 文◎竹内 修 Jレスキュー2016年7月号掲載記事

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