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TEMの実践に重要となる「ノンテクニカルスキル」
【連載】JAL機長が解説する「安全管理」のマインド 第3回
Jレスキュー2022年11月号掲載記事
前回(第2回)の記事はコチラ
前回までのまとめ
今回も本稿をご覧いただきありがとうございます。日本航空・ボーイング767型機機長の石川 宗(はじめ)です。全6回の連載ですが、早くも3回目を迎えました。まず初めに、これまでの内容を簡単に振り返ってみたいと思います。
第1回目は「ヒューマンエラー」についてお話をしました。人間には能力の限界があり必ずエラーを起こします。これがいわゆるヒューマンエラーです。このエラーは「認知」「判断」「行動」という、人間が行う情報処理の3段階すべてで起こり得るものです。もちろん、航空機の運航の中では「人間だからエラーは仕方がない」では済まされません。
そこで第2回では、エラーが重大な事態にまで発展することを防ぐ考え方「スレット アンド エラー マネジメント(Threat and Error Management:TEM)」についてお話をしました。どんなに一生懸命にやっても、また気合いを入れてもエラーを防ぐことはできません。ですから「ヒューマンエラーを前提に、航空機の運航を行う」という考え方が生まれました。それがTEMです。TEMでは、パイロットのエラーを誘発する要因である「スレット」や、パイロットの「エラー」に対し、具体的な「対抗手段:Countermeasure」を講じることにより、「※航空機の安全レベルが低下した状態」や「事故」を防止します。また、漠然とした不安を「スレット」という形式知にすることにより、チームで共有できるということも大きなメリットです。チーム全員が「スレット」を共有することで、状況や問題の共通認識が可能になり、より具体的な対抗手段も講じやすくなるのです。
※ 航空機の安全レベルが低下した状態(Undesired Aircraft State:UAS)=航空機乗組員によって引き起こされ、安全マージンの低下を伴うような、航空機の位置や速度の逸脱、不適切に操作された操縦系統、誤ったシステムコンフィギュレーション(航空局通達より抜粋)
ここまでの2回の連載では、このような内容をお伝えしてきました。そこで今回と次回では、TEMを実践するうえで重要な2つのことをお話したいと思います。それは「ノンテクニカルスキル」と「MCC(Multi-Crew Co-operation)」です。あまり耳慣れない言葉かもしれませんが、どうぞお付き合い下さい。
「ノンテクニカルスキル」とは?
まず今回は「ノンテクニカルスキル」についてお話します。
TEMでは「スレット」や「エラー」に対して「対抗手段:Countermeasure」を講じるわけですが、そもそも「スレット」や「エラー」に気が付かなければ何の対処もすることができません。ですから、現在の状況を認識することはとても重要なことなのです。また、状況を認識するといっても、単に現状に“気付く”だけでは不十分です。「なぜこのような状況になっているのか?」「今後どう変化するか?」「自分への影響はあるか?」といった分析や予測も含めた状況認識が必要となります。より多くのスレットを認識し、対抗手段の有無を判断することができれば、より安全度の高い高品質な運航となるわけです。
エラーについても発見することが最も重要です。しかし、これは「スレット」の発見よりもさらに難しい認知作業となります。なぜならば、誰もが『自分は正しい行動ができている』と思い込んでいるからです。「正しく行った」と思っている自身の行動を振り返り、自らのエラーに気付くことは、バイアスの影響も作用して非常に難しいことなのです。テストの答案を何度も何度も見返したのに、ケアレスミスに気付けなかった、なんて経験はありませんか?
エラーを防ぐ方法で、私が心がけていることをご紹介します。それは実際に行動する前に、もう一度その行動が正しいかどうかを疑ってみることです。航空機のシステムにデータや数値を入力する際、もう一度その内容を「この滑走路で良いのか?」「この高度は航空路や状況に合致しているのか?」などと自問自答することで、単純な入力エラーや状況にそぐわない高度に気付くことが可能になります。エラーを発見できれば、マニュアルや情報を再確認したり、管制官などのリソースを活用したりして正しい行動へと修正できます。
ノンテクニカルスキルの中では、状況認識を元にした「判断」も重要な要素です。「判断」は、自身が置かれた状況の問題を特定し、残された時間やその問題の重要度などを考慮して解決策を決定していくプロセスです。さらに、解決策を実行した後の振り返りや修正も、この「判断」に含まれています。時間に余裕があればより多くの解決案を検討することが可能になり、それぞれのメリットやデメリットを評価・比較することもできます。
安全はもとより、定時制・快適性・環境にも配慮した、より質の高い判断ができるわけです。一方で時間に余裕がなく、直ちに判断を下さなければならない状況も存在します。この場合は最低限必要な「結果」が得られるように、限られた時間の中で直観的な判断を下さなければなりません。
ノンテクニカルスキルは航空機の運航にだけ必要な、なにか特別なものだと思っていませんか? そうではありません。普段の生活やレスキュー現場など、あらゆる場面で気付かないうちに発揮されています。
車の運転を例に考えてみましょう。平日の午後、見通しの良い道路を運転中、前方にスクールバスが停車したとします。最初に「スクールバスが止まったぞ」と、この状況を認識します。次に「子ども達が降りてくるな。もしかしたら子どもが飛び出してくるかもしれない」といった分析・予測をすると思います。そして、最終的にこれらの状況認識から「子どもの飛び出しに備えてスピードを落とそう」といった正しい「判断」を行うはずです。
黄色信号を認識して、慌てて加速しながら交差点に入る車を稀に目にしますが、これは正しい状況認識が正しい判断に繋がらなかったという代表的な例だと思います。このように安全運転を行うためには「走る」「曲がる」「止まる」といったテクニカルスキルや、信号や道路標識の意味などの道路交通法の知識だけではなく、ノンテクニカルスキルを発揮しなければならないのです。
ノンテクニカルスキルには他にも「コミュニケーション」や「チームビルディング」など重要な要素が含まれています。今回は、誌面の関係もあり「状況認識」と「判断」という二つのトピックに絞ってお話をしました。「コミュニケーション」については特に重要な要素なので、今後の連載で取り上げたいと考えています。
「状況認識」と「判断」の訓練
航空業界でもノンテクニカルスキルが注目されたのはここ十数年のことです。以前はテクニカルスキルや知識に重きが置かれ、訓練の中でもこの2点を重点的に取り組んでいました。シミュレーター訓練では難しい気象条件を設定し、事前に知らされた「離陸時のエンジン故障」などの科目を、決められた通りに対応する訓練が中心でした。訓練内容が事前に知らされているので、「状況認識」はあまり必要ではありません。また、こうなったらこうしようといった「判断」を含む予習も可能でした。
しかし今は違います。訓練内容は事前に全く知らされません。通常のフライトの中でさまざまなスレットを発生させ、これらに対する「状況認識」や「判断」などのノンテクニカルスキルも演練することができる訓練へと変わりました。この訓練の考え方は、レスキュー隊員の方々の訓練でも非常に有用だと思います。
さて、今回は『ノンテクニカルスキル』についてご紹介しました。普段、何気なく発揮しているスキルなので「言われてみれば、その通り」と気付かれた方も多いのではないでしょうか? これからは、ほんの少しでもよいので、このノンテクニカルスキルを意識して行動してみて下さい。きっと、より安全な生活となるはずです。次回はTEMを実践するために、チームとしてエラーを防ぐ具体的な行動「MCC(Multi-Crew Co-operation)」についてご紹介します。是非ご覧ください。

石川 宗Ishikawa Hajime
日本航空株式会社
運航訓練部 調査役機長
767飛行教官
(役職は連載誌面掲載当時のもの)