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【コラム】元消防士による「ミニチュア工芸展」大盛況で終了

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さて、本命のミニチュア纏飾りですが、皆さんは纏のルーツは戦国武将の幟旗にあったというのはご存じでしたか?

実は纏はもともと群雄割拠の戦国時代に、戦場で敵味方の目印として用いたもので、的射(まとい)あるいは馬印(うまじるし)といわれ、形は幟旗形式でした。江戸時代に入り太平の世が続くと武家の的射は使われなくなり、これに代わって火消しが火災現場で用いる標具となりました。

町火消しが誕生したのは江戸中期、享保3年(1718年)ですが、このころの纏は、戦国時代同様の幟旗形式でした。今日見られるような形になったのは享保15年(1730年)で、いろは48組、本所深川16組の合計64本の纏がありました。

まとい工房南天
武将のミニチュアは市販品のキットですが、素材がステンレスで少々硬く、両手でペンチを持ちながら折り曲げる作業に苦労しました。
まとい工房南天
この作品は、纏上部の形を新たに考案したオリジナル作品です。江戸の火消し道具にはそれぞれ縁起物としての意味合いがあると思います。まず纏は振った時の形が末広がり、梯子は上り調子の運気、提灯は前を照らす、とび口は困難を切り絶つ、などです。それらが勢揃いした纏飾りがこちらです。
まとい工房南天
これは、東日本大震災の復興を祈って、震災の年に製作した作品です。当時の私は消防職員でした。様々な形で震災復興に携わってきましたが、「まだ何かできないものか……」そう思ったとき、趣味で作っていたミニチュア纏を復興の祈りとして、半年を掛け製作しました。全国47都道府県が被災地の大応援団としての意味合いを表現しました。現職時は、この作品に手を合わせてから出勤していました。
まとい工房南天
纏飾りのほかにも、ミニ家屋も製作しており、こちらの作品は仮想の歌舞伎芝居小屋です。なんとなく雰囲気が伝われば幸いです。

最後に。

50歳で消防を退職してから10年、退職と同時に工房を開設し、紆余曲折がありながらも10年の節目としての個展を開催しました。現職当時の仕事は命がけでしたが、その思いをそのまま纏作りに活かし、いわば作品に命を吹き込む思いでここまでやってきました。10年が経ち、なんとか生活できるようになりました。これからも、作品を購入される方々の安寧を願い、地道に作品を作り続けていきたいと思っています。

初の「ミニチュアまとい工房展」に、多くの方々に足を運んでいただき、ありがとうございました。

元消防士が立ち上げたミニチュア工房が10周年を記念に「ミニチュアまとい工房展」を開催した。
写真・文◎渡辺顕(まとい工房南天)

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