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【コラム】東京消防庁の救助車側面番号が消えた理由
数字による隊名呼称がなくなった理由
2001年(平成13年)に第五消防方面本部(文京区、豊島区、北区、板橋区、練馬区)が二つに分割され、そのおよそ半分に当たる西側の管轄区域が第十消防方面本部となった。このため、51Rの板橋特別救助隊、53Rの練馬特別救助隊、54Rの石神井特別救助隊は、かつて1990年(平成2年)の第九消防方面本部設置の際に第八消防方面本部の数字による隊名呼称から改名した八王子特別救助隊(83Rから91R)、町田特別救助隊(84Rから92R)、青梅特別救助隊(85Rから93R)のように、それぞれ本来なら「5」の部分を「10」に置き換えなければならなかったが、東京消防庁では正式な隊名だけでもほとんど不自由がないこともあってあえてそれを行わず、数字による隊名呼称を積極的に行わないことになった。
このため、それまでは救助車の側面に書き込まれていた数字による隊名呼称も、平成15年度に更新された練馬特別救助隊の救助車以降は単純に「東京消防庁特別救助隊」というように改められた。
だが、特別救助隊では正式の隊名はもちろんだが、この数字による隊名もそれまで好んで使用してきた。救助車に積載する資器材の本体やケース、保安帽や防火帽の後部に貼る所属を書いた蛍光デカールをはじめ、皮手の手首のバンド部分に名前とともに書いたり、誰もがあらゆる箇所に用いてきた。所属する特別救助隊を誇る気持ちからそのナンバーをひたすら愛し、誰もが自分の隊のナンバーは特別な数字になっているのだ。その伝統は現在でもまだ受け継がれ、さまざまな部分にナンバーによる隊名標記を見つけることができる。