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【コラム】瓦礫の町を走った“オールドタイマー”
大槌町を支えたスタウト消防車(前編)
東日本大震災の津波で、岩手県大槌町の消防団は車両も仲間も失った。
それでも立ち止まらず、支援車両として届いた1台のトヨタ・スタウトと共に、団員たちは再び立ち上がる。
偶然のようで必然だった「再会の物語」は、失われた町に希望のエンジン音を響かせた――。
写真・文◎鈴木亨(大槌町消防団第2分団)
Jレスキュー2025年9月号「オラぁどぅ元気だがや!」掲載記事
20年ぶりの再会
東日本大震災大津波で流失した消防ポンプ車(安渡2号車)の代わりに支援車両として配備された、トヨタ・スタウト小型動力ポンプ付積載車の事を書きます。
東日本大震災により岩手県大槌町ではポンプ車3台、積載車1台、防災広報車1台が流失または焼失し、消防団員は車両がない状態で被災直後の活動を強いられました。我々も分団のポンプ車2台と仲間11名を失い、生き残った団員と安渡1号車で懸命に活動を続けていた最中、岩手県消防協会を通じ県内各自治体から支援消防車両が来るとの情報が届きました。当初は支援貸与車両なので返還があるとの話でしたが結局返還した車両は1台のみでした。
そして2011年(平成23年)4月11日の車両交付日となり、私は分団長と車両受領に向かいましたが、やや出遅れた感じで交付場所に到着した時にはすでに他の部がそれぞれの支援車両に目星を付けており、古いけど存在感を放つスタウト1台が残っていました。
支援車両は岩手町、花巻市(2台)、普代村、洋野町から小型動力ポンプ付積載車が来ており、このうち洋野町車両のみ返還が必要な貸与車両でした。
かくして我々安渡消防には普代村から譲渡された、トヨタ・スタウトの小型動力ポンプ付積載車が配備される事となり、私としては比較的新しい車よりオールドタイマーのスタウトに乗れる事を嬉しく思いました。
実は私は普代村のスタウト積載車とは初対面ではなかったのです。今から20年以上前でしょうか、消防愛好家仲間から「普代村にスタウト積載車がまだある!」と聞き、消防演習を参観撮影に行きました。大槌町にあったシングルキャブのスタウト積載車ではなく、ダブルキャブのスタウト積載車を見て感動し「運転してみたいな」と思いながら、分列行進や火災防御訓練で存分に撮影した写真は津波で流失してしまいましたが、まさかあのスタウト積載車が支援車両で来るとは思いもよらず、大槌町に来てくれて有難うと思いました。私は颯爽とスタウト積載車に乗り込みコラムシフトのギアを入れ仮屯所に戻りました。スタウトを見た分団員達は、古い車だとか、味があって良いとか賛否両論ありましたが、これから相棒として活動し大槌町で第二の車生を送る事となったスタウトを歓迎していたようでした。早速スタウト積載車は普代村第三分団の表記のまま、瓦礫の残る安渡地区内巡回や避難所からの食事受け取りに活躍する事となります。
この頃は震災津波から1カ月経過し消防車は元より、消防団員個人の被服や装備も支援物資が届き、花巻市消防団の活動服、大阪各地の消防の防火衣や防火帽、市川市消防局の私の知り合いと有志の方々からの防寒衣や活動服を纏って消防団活動を行い、復興に向けて歩み始めたのでした。
スタウト積載車のその後の活躍は後編にて!