海上保安庁のレスキュアーは、たとえ現場の第一線から退いても潮っけをまとい続ける

寺門 嘉之 Terakado Yoshiyuki

Terakado Yoshiyuki 海上保安庁 第三管区海上保安本部 警備救難部救難課長

Interview

海上保安庁のレスキュアーは、たとえ現場の第一線から退いても潮っけをまとい続ける

Twitter Facebook LINE
現場の声を聴き、組織としての支援にまわる

海上保安庁の組織内だけでは知りえなかったことを他機関との連携経験で知ることも多かった。隊長時代、国際緊急援助隊の省庁を代表する指導者の任に就き、そこで得た意見を隊にフィードバックすることもあった。こうした部隊や組織を超えた連携の経験は特殊救難隊を離れたあとも活かされており、それが効果的に機能し、特殊救難隊が最大限能力を発揮できるように努めている。

寺門は潜水士になる前に北海道南西沖地震、潜水士になってすぐに阪神・淡路大震災に出動している。特殊救難隊時代にも地震、豪雨、噴火といった大規模自然災害を数多く経験した。現場を離れて環境防災課に異動した後は「自然災害と原子力災害」を担当としていた。東日本大震災が起きたのはまさにそのタイミングだった。寺門は特殊救難隊と機動防除隊が最大限に活動できるように後方支援にあたった。

「特殊救難隊にいた当時は、目の前の命しか見ていなかったのであまり意識していなかったが、実は、特殊救難隊が現場で最大限のパフォーマンスを発揮できるよう、訓練時間の確保や装備・資機材の充実等、組織として多くの職員が縁の下の力持ちとして後方支援していることを、陸上勤務となり改めて後方支援の重要性を理解し、感謝した。そして今は、救難課長という立場で海難現場に特殊救難隊を出動させ、指示を出す一方で、特殊救難隊の活動を支援する業務に就いている」

特殊救難隊出身者としては最も適材なポジションに配置する海上保安庁の体制も素晴らしいが、それに応えられるように現役時代同様に努力する寺門も魅力的と感じる。

平成18年韓国漁船の転覆事故で船員捜索に向かう海上保安庁の特殊救難隊。
平成18年韓国漁船の転覆事故で船員捜索に向かう海上保安庁の特殊救難隊。

「私のような立場の者は、努めて今の特殊救難隊を知ることが大事だと思っている。私自身が当時の自分の経験のまま止まったままだと、現在の隊との齟齬が生じてしまう。今は、取り扱う資機材の数も増え、当時はできなかった技術ができるようになっている。たとえば潜水では、以前は空気潜水で40メートルしか潜れなかったが、今は混合ガスを使って60メートルまで潜れる。そのための仕組みや訓練などを理解しなければ、彼らの能力を最大限に発揮させることはできないと思う。また、国際緊急援助隊に求められる技術は自分が経験した当時と比べてはるかに高い水準が求められている。実動部隊は時代に追いついているのに、それを動かす私が追いつかないわけにはいかない。そのためには、過去の実績に胡坐をかかず、『あの頃の感覚を忘れてはいないか?』と自問する。私はこれを『潮っけをまとう』と言っている。海に入る機会は減っても、現場の職員たちと同じ感覚になれるように気持ちを寄せることだ。例えば現場の気象海象が文字で送られてくるが、それを『この時化では大変だろう』『寒いだろうな』とリアルに感じられる感覚を大切にしている。そのために、特殊救難基地にはなるべく足を運ぶようにして、隊員からの生の声を聞きだし、自分の感覚を蘇らせたり更新するようにしている」

令和元年、船が沈没して潜水士が船内捜索する事案があった。そろそろ成果が上がってくるだろうと期待していたが、実際には思うように作業が進まず、後から潜水士に話をきくと想像していた以上に視界が悪く潮流も早かったため、「非常に恐怖を感じる、身の危険を感じる現場で時間を要した」という。現場と自分の感覚のずれに気づかされ、隊員に寄り添う大切さを実感した。

「救助現場が見えないところで指揮するには、現場の声を聞き、『潮っけをまとう』ということが大切。現場のモチベーションをいかに上げて、いい仕事をしてもらうかを常に大切にしている」と話す。

筆者は特殊救難隊を離れた「伝説のヒーロー」のその後に興味があったが、インタビューを通じて依然としてそのヒーロー像はあったのだと確信した。寺門元隊長に当時の気持ちを聞くと、「自分が最後の砦で救助に向かう。現場は映画パーフェクトストームのような荒れ狂う海。ここに自分がいること自体に武者震いする。当然、アドレナリンも出ている。正直、そんな自分を『カッコいい』なんて思っていますから」と少年のように素直に答えてくれた。そこは消防や警察で活躍する多くのレスキュー隊員と変わらない。レスキュアーの原点は「自分もヒーローでありたい」という憧れであり、そこに気取らない等身大の特殊救難隊長の姿が垣間見えた。

奥日光氷下潜水訓練の様子。極寒、視界ゼロの中で、流水の動圧を計算しながら移動し、浮上ポイントに計算通りに上がってくる訓練を行う。
奥日光氷下潜水訓練の様子。極寒、視界ゼロの中で、流水の動圧を計算しながら移動し、浮上ポイントに計算通りに上がってくる訓練を行う。
寺門 嘉之

寺門 嘉之Terakado Yoshiyuki

昭和45年埼玉県生まれ。昭和63年4月~日本体育大学にてライフセービングを開始。平成4年4月海上保安庁入庁。平成5年海上保安学校卒業後、横浜海上保安部の巡視船に勤務。潜水士発令。平成7年、異例のスピードで羽田特殊救難基地「特殊救難隊」に任命される。平成18年4月、羽田特殊救難基地特殊救難隊隊長。平成30年4月、名古屋海上保安部警備救難課長。平成31年4月、現職。

海のレスキューの頂点、海上保安庁 特殊救難隊の隊長として活躍し、国内外の大規模な自然災害への出動経験も豊富な寺門嘉之氏は特殊救難隊のレジェンド。 本インタビューでは、現場の前線からは退いた現在も、現役の特殊救難隊の声を聴き、現場感覚を常に持ち続ける寺門氏の姿に、レスキュアーとしての矜持を見た。
文◎柿谷哲也(軍事ジャーナリスト) 撮影・写真◎岩尾克治 Jレスキュー2020年3月号掲載記事

Ranking ランキング