村木 秀彦 Muraki Hidehiko
Muraki Hidehiko 熱海市消防本部 消防署 署長
Interview
「1+1」が毎回、絶対「2」になるように、反復訓練を重ねて安全・正確さを追い求めた
団塊世代の職員が大量に退職し、20代の若手が過半数を占めるようになった熱海市消防本部。
そのかじ取りを任されたのは49歳の好漢、村木秀彦。
「少数精鋭の頑強な部隊を作りたい」という戦いが始まった。
Jレスキュー2018年11月号掲載記事
消防人生の転機は県航空隊への出向
全国的に消防職員の若年化が進むなか、熱海市消防本部でも例外でなく、職員数88名のうち、過半数を超える実に45名が30歳未満である。そんな若い消防署を率いる村木秀彦も弱冠49歳にして消防署長を拝命した。
「人事のことは、本人はわからない」
というばかりの村木だが、消防本部としては若い隊員を引っ張っていくには、その明るい人柄が最適と白羽の矢が立ったのは間違いないだろう。実際、執務室でも食堂でも、村木は気軽に若手職員にあれこれと声をかけて世話を焼く。実に和気あいあいとした雰囲気だ。
「自分の若い頃は、署長なんて雲の上の存在。口なんて気軽にきこうものなら、『頭が高い!』と怒鳴られるような雰囲気でしたよ。でももう、そんな時代ではない」
そう穏やかに話す様子が印象的だった。
叔父が熱海市消防本部に勤務し、実兄が湯河原町消防本部に勤務している村木にとって、消防を一生の仕事と考えるのは自然なことであった。そして「人助けがしたい」、「救える命を助けたい」という思いで、地元の熱海市消防本部の門を叩く。以来、26年間の消防人生を振り返ると、なんといっても航空隊勤務の3年間が印象に残っているそうだ。
県下の消防本部に輪番制で回ってくる静岡県消防防災航空隊への出向勤務。村木がちょうど脂の乗り切った時期に、熱海消防からも初めて派遣することになり、当時の消防長に「お前が行ってこい」と背中を押され、家族とともに静岡市に赴任した。
静岡県には伊豆半島や遠州灘の海岸線のみならず、富士山や南アルプスといった山も多くあり、航空隊は水難救助と山岳救助を同時に担当する。これまでの熱海消防の業務とはまったく異なる任務になるが、航空隊に行ってから、がっつり先輩たちに仕込まれた。
「台風通過後の遊泳禁止の海で、R1(救助時の1番員)として決死の救助を完了して、達成感に浸りつつ帰投しているその最中に無線が入って、南アルプスで滑落事案が発生とのこと。いったんウェットスーツから着替えて、同じメンバーでまた3000m級の山へ、なんてこともありました」
当時、航空隊は県防災しかなく、全県をカバーしていた(現在は静岡市と浜松市にそれぞれ航空隊があり)。したがって年がら年中、救助事案があり多忙を極めた。同時期に岐阜県で防災ヘリが墜落し、個人的に仲の良かった隊員を失っている。自身も救助中や飛行中に、もう駄目だなと観念したことが3度ほどあり、機材トラブルによる予防着陸も経験した。
余談であるが、続発する防災ヘリ事故に対しては、1パイから早く2パイ制度にするべきというのが村木の持論である。官民ともにパイロット不足の昨今では、パイロット養成も一朝一夕ではできないのが残念である。
激しい訓練で培った安全・正確への想い
さて、航空隊に出向した村木が放り込まれたのが、激しい訓練の待つ日々であった。午前中は格納庫の機体で訓練、午後は実際のフライトで訓練である。同じ訓練を、毎日毎日繰り返す。救助員から機内員、オペレーターまで、どのポジションでもこなせるようになるのが目的だ。とにかく、毎日毎日、同じことの繰り返し。「もう覚えたからいい」ではなく、執拗に反復する。それを村木はこう振り返る。
「『1+1』が『2』とわかっているからいいやじゃなくて、『2』という答えを毎回、『絶対に』出すにはどうしたらいいかということです。絶対にミスを出すことのないように、安全・正確さを求めるために、繰り返し、繰り返し訓練するんです。それでもいざというときにはミスがあるかもしれない。それをカバーするのは、周りのメンバーです。そして一刻を争う現場であっても、とにかく慌てない。冷静でいること。粛々とやるということ。ヒューマンエラーを極力なくすにはそれが大事だと学びました」
航空隊では副隊長まで務めた。
「とにかくスキルの高い場所にいたものですから、いい経験ができたなと思っています」
村木が49歳の若さで消防署長に補された背景には、航空隊での経験があったことは間違いない。とはいえ、熱海消防と航空隊では忙しさが根本的に異なる。したがって、航空隊で学んだヒューマンエラーをなくす取り組みを、そのまま熱海消防でやらせても無理だろうと考えている。そこはあせらず時間をかけて、じっくり取り組むつもりだ。
10年ほど以前に、団塊世代の隊員がいっせいに定年を迎えて大量退職となった結果、熱海消防の人員は一気に若返ってしまった。経験の浅い職員が多く、補職名でいうと主査職という中間層がぽっかりと空いてしまった。つなぎ世代がいない状況で、世代間のギャップが顕在化している。世代間の相互理解が不十分に陥りやすい危険性がある。村木が消防署長を拝命したのは、まさにそんな状況であった。
「辞令を受けたときは、それは悩みました。はっきりいって、今でもそうですけど、いやでした。現場に出られなくなるということもありますが、何よりまだそんな年ではないと思い、また自分にその力量があるのか自問しました」
しかし、そこは紙きれ一枚で物事が決まる世界のこと、やれといわれたらやらざるをえない。やってだめなら、「耐えられません、もう無理です」と降格願いを出せばいいだけの話と腹をくくった。むしろ、将来の熱海消防を担う若いひとたちのためにがんばらなければという思いで着任し、以来1年と5か月があっという間に過ぎた。
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「残された時間で強い組織を作り上げる――」
それが死を覚悟で任務に励んだ男の決意