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プロなら消防活動に必要なトレーニングをすべし
横浜市消防局で特別高度救助部隊SRを経て、米軍佐世保基地の消防隊へ。
基地の訓練課統括として、米軍消防向けの訓練カリキュラムを組み立てている湯浅氏に、
筋肉トレーニングの意味と実施例について伺った。
Jレスキュー2021年1月号掲載記事
消防に必要なこと
――今さらですが、改めて消防にはなぜ体力錬成が必要なのでしょう?
言わずもがな、消防士は世界で最も危険な職業のひとつです。その他大勢の人が逃げ出す災害現場に、逆に入っていくのが我々の選んだ仕事。もちろん鍛えられた肉体と知識、装備を携えてである。教科書には、優先順位は自分自身の安全、仲間の安全、最後に要救助者の救出と書いてあるが、これは現場が危険だから入るのをやめておこうという言い訳をするための言葉ではありません。要救助者を救うという任務を遂行するためには、自分やチームの安全を守れて当たり前、困っている人を助けるのはそのさらに先にあるということです。単純に考えて、自分が、チームが、より強ければより多くの人を助けることができます。
――湯浅さんは現在、米軍基地の消防組織で訓練を取りまとめる訓練課のドリルマスターという統括ですが、米軍消防では訓練のアプローチが違いますか?
40歳で転職して現職に就いたのですが、それ以前は横浜市消防局の職員(最後は特別高度救助部隊の隊員)です。今までは先輩から『救助隊員は走って(ロープ)登って懸垂』と教えられてきましたが、新しい環境になり、人生初の日勤業務となり、また年齢的にもちょうど節目の年ということもあったので、これからどういったトレーニングをやっていくかということを考え直す機会となりました。
いま勤務している消防署内には小さなジムがあり、トレーニングマシンやダンベル、トレッドミルが置いてあるので最初は慣れないマシンを使ったトレーニングをやっていました。消防署は規定で、勤務時間中に60分間のトレーニングを認めています。隊員はそれぞれの考えで必要と思われることをやる方式で、2、3人でまとまってトレーニングをやっている人もいれば、個人でやっている人もいます。いわゆる体力のある人は、プライベートでもかなり真剣にスポーツに取り組んでいる人という印象を受けました。こういった状況はある程度の年齢になってくるとどこの消防署でも見られるのではないかと思います。
消防士も職業に特化した
トレーニングを行うべきか
−スポーツ選手は種目やポジションに応じて必要とされる部位に焦点を当てたトレーニングをしていますが、消防の場合はどうでしょう?
「消防士なんだからとにかく筋トレしなきゃいけない」という考えはわかりますが、ちょっと大雑把すぎるんじゃないかと思います。若いうちはまだいいかもしれませんが、年齢を重ねてくればそれぞれ故障が出てくるので、職員ということで若手も年配も一緒くたにして、ケガのリスクを冒してまで必要性のわからない同じ内容の運動をやらされるのは正直避けたいと思っている人もいるでしょう。アスリートであれば、試合でのパフォーマンスを上げるために個別の動きを練習し、それに必要な筋肉をつけるために筋力トレーニングをします。当然ながら種目やポジションに応じてトレーニング内容は違います。消防のトレーニングもそうあるべきだと思います。そして、人の生き死にに携わる我々の職業は、そういったことを突き詰めるのに十分値するものだと思うのです。
訓練課にいる以上は、自分の体力維持だけではなく、こういったことを何かしら職員に提示する必要があると思いました。具体的には、マシンやダンベルを使ったトレーニングでは割と軽視されがちな足腰の筋力や心肺機能の強化こそが、消防活動にはより必要とされるということは、ダミー搬送などの活動を模したトレーニングを行うと一目瞭然です。現在の職場で個人に支給されている防火衣と呼吸器だけで合わせて25kg以上! 加えてアメリカ製の資機材はほとんどが日本のものより一回り大きいものばかり。フル装備で現場にいることそれだけでもかなり体力を消費します。ただ、それに対応するこういった下半身や心肺機能を鍛えるトレーニングは、いわゆる見た目が良くなる部類のトレーニングではないのでモチベーションがなかなか上がらず、意識的にやらないと続かない人も多いと思います。
−佐世保基地でも、消防の活動を想定した訓練が行われ始めたそうで…
現状の態勢を見直した方が良いかなと思った小さな転機は、昨年(2019年)アメリカでFDIC(アメリカで開かれる世界規模の消防インストラクターの会議)に参加したことでした。訓練のやり方などいろいろなインストラクターの講義を聞きましたが、一番驚いたのはアメリカの消防インストラクターの肥満率。私の知る限りアメリカでは長年、ベテラン消防士の肥満や運動不足による心疾患というのが大きな問題になっています。それを見て、現状を見直さないといけないと思ったんです。
一方、メイン会場の隣ではそれとはまったく対照的な消防アスリートたちの『ファイヤーファイターコンバットチャレンジ』という大会が開催されていました。基本的にはいわゆるフル装備で階段を上ったり、ダミーやホースを引っ張ったり、災害現場で日常的に行われる動きをベースにした5つの障害をいかに早く突破してゴールできるかというのを競う消防士の障害物競走ですが、まるでトップアスリートのようなアメリカの消防士のトレーニングを目の当たりにして、こういった災害活動での動きに基づくトレーニングを自分の消防署でもやりたいと思いました。けれど私の基地には施設も道具もなかったので、間もなく大会のことは記憶の片隅に追いやられていました。
その後、ある日ガレージ前でダミーを引っ張って訓練していた私の姿を見たアメリカ人の訓練課長が倉庫からカイザースレッド(強制進入時の動きを模した訓練器具)を持ってくるように言いました。だいぶ前に買って、使われずに廃棄処分になりかけていたものがあったのです。アメリカで見たトレーニング機材が目の前に現れたことがきっかけになり、そこからアメリカの消防士のフィジカルトレーニングの本を読んだりYouTubeを参考にしたりして、シンプルな動きのなかで自分の消防署でもできそうなものを探していろいろと実践しました。
ちょうど新型コロナウイルスの影響で集合して行う訓練ができなくなっていた時期だったので、しばらくは自分自身でいろいろと試してみて、暫定的にではありますが、ガレージ前で実施可能な5種目くらいを決め、基地内の規制が少し緩和されたタイミングで上司に相談し、職員全員でフィジカルトレーニングを行うことを許可してもらいました。
湯浅ドリルマスターが考える【プロの体力錬成】
個人の趣味として取り組まない
趣味でスポーツをすることが悪いわけではありません。実は自分も初めての日勤業務で土日が休みになったことから、これからは週末に趣味で何かスポーツでもと考えたことがありました。ですが、やはり
「肉体労働者は身体が資本、ケガをすれば仕事ができなくなる」
という思いが現場にいた当時からあったため、私は新たに何かをするのは諦めました。実際問題、私ぐらいの年齢になれば「仕事では全く体を使わないけれど趣味でバリバリスポーツをやっている」という人にどこかしら体力的に劣ることがままあります。悲しいことですが、消防職員の中でも趣味で運動を続けている人のほうが体力があるというのが現実です。
もちろん体力があるのは良いことなので、ケガさえなければそういったところにモチベーションを求めることを否定はできません。ただ、自分が初めて配属された消防署で、消防一筋で50代になっても毎当直決まったルーティーンを続ける先輩を見てきた経験から、欲を言えば皆が消防の活動をベースにそこから体力づくりを考える機会があればと思いました。
消防の体力錬成は
精神力の鍛練も兼ねている
消防では現在でも、いわゆる単純なトレーニングを信じられないような回数ひたすらやらされる訓練があります。これについては賛否があるかもしれませんが、私は消防のトレーニング(体力錬成)の半分(3割?)は精神力を鍛える訓練だと思っているので、古臭い反復訓練だったとしても意味があると思っています。特に初任科教育では教官に『自分で限界を作るな』と徹底的に叩き込まれました。仲間との信頼は、酒を酌み交わせば誰とでも築けるものではなく、いわゆる限界を超えたときにその人がどういった振る舞いをするかというのを見た者同士でしか生まれないと思います。
災害対応は自分の心地よいところでは終えられません。ひとつの災害がやっと終わったと思ったら次の出動指令が鳴るなんてことも当たり前のことです。そういった意味で、いつ終わるか分からない訓練、いいと言われるまでやり続ける訓練というのもパワハラとの線引きをしっかりとしたうえで我々には必要だと思います。
集団で行う訓練の効果
Positive Peer Pressure
トレーニングにおいては集団で訓練することで生まれるPositive Peer Pressure(ポジティブピアプレッシャー 良い意味での同調圧力)は効果的だと感じます。同調圧力というと、最近は日本特有の悪い文化のように扱われがちですが、周りを見て「俺はダメだ」と思うのではなく、あくまで「俺も頑張んなきゃ!」というプレッシャーを感じることです。他人が言って聞かせるよりも自分で感じとってもらえるような環境を作ってあげることのほうが効果的な場合もあると思います。そういった理由から、自分自身が見本となってバリバリできるところを見せつけることよりも、仲間とトレーニングできる環境を整えてあげることの方が自分の仕事だと思っています。
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65歳まで活動するためのトレーニングとは?